あーちゃんの絵とトラウマとミラクル

 

060517(土)☂

    「あーちゃん」とは、管理人の母で、おばあちゃんと呼ばれたくないから、孫全員に自分の事を「あーちゃん」と呼ばせています。本人は「ば」と言う文字を取っただけ、と言っていましたが、ネットで見ると、同じような呼び方がとても多いです。

    実家周辺では、若者が殆どいません。年配の方達がお茶や卓球をして、グループ交流している人たちの中で、影響を受けたではないかと思います。

    母はmeta認識が非常に強いタイプの人で、こちらとしては、「おばあちゃん」でも、「あーちゃん」でも、一向に構わないので、本人が良ければ、それに慣れるまでです。本人にとっては、心理的アンチエイジングに繋がるらしいです。確かに、「あーちゃん」と呼ばれる母は、毎日体を動かしていることもあり、年齢よりも若く見えます。

    5月の帰省で、デンデンが食事しているところに、あーちゃんも絵日記に参加する!と言って、描いた絵がアイキャッチの絵ですが、5歳のデンデンと同じレベルだね~と自分で言っては、笑いを誘いました。

    良く見ると、構図もバランスも悪くはないですよね、絵心はある方ですが、描く線が直線的で雑なところは、あーちゃんの性格が表れています。

    あーちゃんのところに来ると、いつも自家栽培のお野菜を沢山貰えます。管理人が結婚するまでは、一緒に東京で住んでいましたが、わざわざ田舎の実家へ帰り、畑をしています。自分の畑に食べ物がないのは、非常に寂しくて悲しい思いをするのは、東京大空襲が残したトラウマ故です。

    「東京大空襲」は本当にあった非人道的な無差別爆撃で、東京は11万人以上の民間犠牲者を出し、ほぼ壊滅状態でありました。今の若者は知らない人が多いと思いますが、日本近代史の中でも衝撃なもので、ぜひ「wikiの東京大空襲」ページを見て頂きたいと思います。

    管理人の母である「あーちゃん」は当時3歳未満、すぐ上の姉も5歳くらいで、その上の12歳くらいの姉が二人を連れて逃げ惑い、当時住んでいた浅草近辺から焼けた街をくぐりぬけ、墨田川へ飛び込んで死から逃れたが、僅か12歳の女の子が妹2人を支えて泳ぎ、爆音が遠ざかったのを確認して、川から上がった時は、周辺は死体が散乱し、二人の妹は半分溺れていて苦しんでいた、お母さん(管理人のおばあさん)と生まれたての末っ子は無くなり、床屋を数店舗抱えていたおじいさんは商売も奪われ、従業員も行方知れず、6人兄弟の子供とただただ飢える日々に耐え、政府からは救援が全く届かず、いよいよ生存の光が見えなくなり、海外の貿易商の知人が差し伸べてくれた手にすがり、子供を生かすために、日本を出ました。

    東京大空襲直前まで、おじいちゃんは床屋以外に輸入商もしていたから、子沢山ではありましたが、満たされる生活を送っていました。東京大空襲直後の飢え体験は、小さな子供に容赦のないトラウマを残したのです。あーちゃんは七十代の今でも、毎日100坪の庭で野菜を植えないと、食べ物がないと言う不安から抜け出せません。こんな時代なのにです。

    何度も、何度も、母から聞かされた話でした。学校の先生が、命は何憶分の一と言う確率で誕生して来るから、大切にしなければならないと教えたように、管理人とデンデンの第一のミラクルは、あーちゃんが何とか東京大空襲から生き延びられた事でした。

    管理人のお腹には二人目の子供が入っていて、来月の6月上旬に出産する予定をしています。改めて思い出すと、デンデンとこの新しい命が、ますます愛おしく思います。こんな我が家の歴史、いつか、子供に伝えられる日が来るでしょう。先祖から代々、大きな災害と戦い、災難を乗り越え、繋げて来た命のリレー、自分たちで大切に、大切にして欲しいですよね。